所詮他人の物語ですから

随分前にkawairiさんからブックバトンをもらっていますが、そのかわりというわけでもないけれど。最近の私の読書事情。というか最近小説が読めるようになった。というのもちょっと前まで本とか小説がまったく読めない心になっていて。もともと本を読むのは好きな方なんだけれど、ここんとこの純愛小説ブームとかまったくのれず、その前にあったなんとなくエキセントリック(だと私は思っている)なJ文学といわれるようなラインもまったく読む気になれなかった。まったく感情移入や肯定できないどころか拒否反応があって。たまに町田康の新刊を読んだり読まなかったりするくらいだった。町田康はそもそもミュージシャンとして好きだったし、物語うんぬんより文体が狂っててそのリズムから生まれるちょっとした表現に笑えたから好きだった*1
でも最近、なんだか本を読みまくりたい気分で、まず装丁が気に入ってて*2、ずっと気になってた重松清を立て続けに読み、やっと東野圭吾伊坂幸太郎に手をだそうかな、どうだろう、と思っているところ。重松清は、「流星ワゴン」「トワイライト」「エイジ」「疾走」(装丁が気に入ってたのは流星ワゴン)を年末から続けて読み終わった。「疾走」は途中だらけたけたなー。「流星ワゴン」は万を辞して読んだ感じだけれどちょっと私にはファンタジーすぎるか。「トワイライト」も主人公の年齢設定が似ているところでそんな感じ。というところで予想外に「エイジ」が面白かった。読んでる途中はああ、こんな男子中学生ものを読んでる場合かっと躊躇もしたが不覚にも最後涙した。小説って10代の頃に読んでる方が断然衝撃が大きかったのだけれど、年くってくると文体や価値観の違いやそういうものが気になってなかなか読み通したい、読みたい作品って少なくなるもので。今後まだ続きそうな私の読書熱を満たしてくれる作品があるのかどうかあんまり期待していないのだけれど、久しぶりにもう少し読書に時間を費やしてみようかな、ここ数年の話題作もひととおり読んでおこうかな、とそういう感じ。ほんとにここ数年読んでないのにもともと本というモノが好きなだけに、なおさらブックバトンに答えられないなーと思いここ数週間の読書事情をそのかわりにってことですんまへん。
書いてる内に思い出してきたので、ざっくり過去の読書歴を書いておくと、幼稚園のころから絵本や本を読み始め、小学生低学年の時に世界名作全集を買ってもらって、トムソーヤの冒険やガリバー旅行記やクオーレが好きで、中学年は怪盗ルパンやオズの魔法使いが好きで、小学生高学年頃には夏目漱石とか読んでたような。中学で村上龍の透明なブルーと村上春樹の世界の終わりとハードボイルドワンダーランドにびっくりして、その辺全部読みつつ*3その後山田詠美とか高橋源一郎とか80年代文学をひととおり*4、このへんは。中学高校では現国の先生に反発して純文学は全く読まず(これは今ちょっと後悔してる)。それ以降は村上春樹流れで、アメリカ文学を読みまくったり、初期の池澤夏樹にいったんはまるが沖縄移住以降の彼には魅力を感じず。島田雅彦にも一瞬はまりつつ、サイバーパンクにはまったり、ガルシアマルケス読んだところで、いったん満足した感じ。それではいけないとトマスピンチョンを読みかけてすっかりほってる。それが20代前半まで。20代後半からこの前までちょこちょこ話題作読んだりするけれど、まったくのれず結局娘。小説にはまったり(笑)*5でも最近は現実のよっすぃ〜にはまりすぎてるので、娘。小説もちょっと気恥ずかしくて読めなくなってます。えっと意外にナイーブなんすよ。おわり。

*1:告白を読もうかどうか今迷ってる。文庫に早くならないかな。私は小さい頃父親の書籍を床に並べてその上にそっと寝転がるのが大好きだったくらい、本の形状とか手触りが大好きなんだけれど、読むときは物語に入り込むので文庫の方が熱中できていいのですよ。装丁が気に入ってハードカバーを買っても、ほころびていくのが気になってじっくり読めない

*2:読書はしなかったけどジャケ買いしてそのままになってる本は結構ある

*3:春樹はノルウェイの森以降はまともに読んでない

*4:この辺の体験があるからJ文学がダメだったんだったと思う

*5:娘。小説には本当にどっぷりはまった。だからその心地よさをしってしまったそれ以降、市販の小説がまったく心に入ってこなかったここ数年。だって石吉とか松藤で恋愛とか学園モノとかSFちっくなモノとか断然楽しいやん・・・というよりも、他人の物語を楽しんだり享受したりできないくらいほんと心に余裕が無かったということなんですけども