ちょっとすっきりしてますよ

そんなこんなで、よっすやメイサやジムのイントラの子みたいな、20代の熱い子たちに触発されている今日この頃です。しかし私は20代ではもはやないので、私は私の道をあいかわらず模索しながら生きております。最近仕事は少しストレスフルですが、それでも少し新しい事というか、もう職業柄老い先短かくもあるので、本当にやりたいことはやっぱりやってみることにしました。年を取ったからとか時間がないからできない、とか言って諦めるのはもう無しにしようという試みです。割と私20代、下手すると10代の時から年齢とかいろいろそういう事気にしてて、いろいろやらなかったり、反対に先延ばしにしてきちゃったところがあって、それで後悔も折々でやまほどしてて。でももう後悔してる場合じゃないな、と。後悔したまま人生終わるのだけはやだなあ、と。で、そういう時に、たとえば恋愛とか結婚とか子供産むとかそういう事って結局私の中で優先順位が元から低くて、でも世間体を気にするところもあるので、やっぱそういうのやってないと大人としてどうかなあ、同い年くらいの子供産んで育ててる女性とかと比べるとなんだか人生が薄っぺらい気がする、とかそういうことを思いがちでいろいろうろうろもするんだけれども、元々そういうことに重きを置いてないところから始まってる自分なので、もうそれでいいんじゃないかな、とやっと思うにいたり。今とか、ジム行ってフリーで仕事してたまに遊んで、っていう生活リズムはまるで高校時代や短大時代のようで。今も結局あいかわらずの自分がいることにびっくりもしつつ、もうそういうことで行くことした。遅いっちゃ遅いかもだけれども、もうそれでいい。人からしたらぺらっぺらかもしれないけど、ふわふわきらきらいつまでも20代前後の新鮮さでやりたいようにいつまでも生きて行ってやりますよ。ただ、ちょっと残念なのは、ふわふわきらきら生きることにすると、減り続けてる友達がよりいっそう減りそうな気がするところです。仕事も生活も基本ひとりでし続ける孤独感に負けそうなのもこわい。でも気にし過ぎなような気もします。一歩二歩踏み出せばまた状況は変わる事もあるだろうし。そんなような事をここ数ヶ月うっすらぐるぐる考え続けていて、先日ある友人にメールでそのような事の一部をぽろっともらしたら、10年後20年後もたまに会った時に、あのときは楽しかったねえいろいろあったねえ、って笑いあえればいいじゃない、というような返事をくれて、勇気づけられ、ちょっと心が軽くなりました。そういう事を書いてくれる友人がいることがわかったこともとても嬉しい事でした。そんなこんなでこれでいいのだ、と思うにいたり、そしたら、とたんに行こうと思った方面の仕事が舞い込んできたので、なおさら、やっぱそうだよね!みたいな事を思ったりしています。ぺらっぺらとかふわふわとか言ってみたりしてますが、それは逆に研ぎすまして行く、ってことなんじゃないかな、と思います。いや研ぎ澄ますってのはちょっとアグレッシブすぎるな、自分の感覚としては「澄んでいる」感じだけ。今思えば昔からそういう感覚になる時が一番好きで快適で、しかもそういう時は自然に道が開ける事が多いんですね。それを間違ってがむしゃらとかがんばるとか人と比べてどうとかやってしまうと心身ともにおかしいことになりがち。それも必要な事だったと思うんだけど、もういいかと。だから、もうあんまりいろいろ気にしすぎることもせず、無理に怒ることもせず、我慢しすぎることもせず、素直にまっすぐ生きて行こうと、そういう今現在です。ほんとはそれを20歳くらいで気づけてそのまま行けてたらもっと良かったんだろうけど。いまさら遅いわ、というつっこむ別の自分もいますし、今からすごいことになるなんて期待も全くしてないけれども、でもやるんだよ。しかたがない。


すっかりここを訪れる人もいなくなったしで、別人として他にジムオタブログやメイサブログを立ち上げようかとも思ったりもしましたがそこまでの余力はなく、たまにはてなはいくや、twitterでつぶやく感じで、落ち着いてしまったりもしてるのですが、この日記にはやっぱり愛着もあり、自分のために、やっぱり折々の事はここに書き残すのがいいな、と思い書きはじめたら、うっかり長文になってしまいました。ある意味あいかわらずな感じではありますか。もしも誰か読んでくださってたら嬉しいですありがとう。ではまた。