レビュー部分。

ここについては私はミニコンサではなく、たからづかにおけるレビューということで間違いないと思っておりますが。つってもづかはたしなみとしての観劇で2回くらいしかみてないのでアレですけども。
さてさて、ラブマアンビシャスはまあ、娘。のお約束としてまあ入れざるをえないとして、私としては、「私がついてる」というアンビシャス野心的でいいじゃんのカップリングです。もうこの歌の冒頭「パーパーパ(伴奏)ダーリンここまできて(台詞)」もうこれが流れただけで、もう涙が出そうにぐっとなるのをぐっとおさえることでせいいっぱいでした。ここは私個人的にちょっと前に最悪に辛かった時に、ほんとにひきこもりそうになったときに、このシングルが出て、たまたま聴いて、ああ運命か、やはり私とよっすぃは運命かと思うくらいに、なぜこのタイミングで「私がついてる」とよっすに歌われるのか*1、と涙が出て出て、それで少し心が軽くなったという個人的事情があるものですから、もうこの舞台の筋とは関係ないところで、反射的に心のスイッチが涙腺のスイッチが押される曲なのでありました。でも即座に、ラブマが流れたら反射的に立って踊る困った人たちと違いがないような気がして*2、涙はぐっとこらえ、このリボンの騎士の舞台のひとつの要素として感じることに専念し、途中からはその個人的事情は忘れる事に無事成功しましたので、ほっとしている次第です。

*1:また最近陰陽師を読み返してたので、すぐそういう事いっちゃう感じですが

*2:私は、フィナーレは歌が終わって、もしくはもうほんと最後ですーみたいな事になって、客席に挨拶しながら今日の舞台の評価を拍手やスタンディングオベーションなんかで受ける部分であって「第2幕のフィナーレまでは席をお立ちにならないでください」というアナウンスは、歌(ラブマシーン)が始まったからといって立って踊っていいという意味ではないと私は思い、当然着席のままレビューを楽しむ姿勢で最後まで座っておりましたし、舞台上のパフォーマンスを観れば、一目瞭然、いつもの振り付けとはまったく違う、あの正装風の衣装で羽根持って優雅に振る舞う娘たちが歌っているわけで、観客が立って踊る種類のパフォーマンスではなかったと思いますし。やっぱり先ほどまでの物語の余韻を味わいながら、演者の歌とダンスを楽しむ時間の設定だと思いました。だから、自分のいつもの既成概念やルーチンな行動パターンで行動するのではなく、目の前に展開するものをしっかり見つめ、素直な心で感じ、良い表現には拍手で賛辞を送る、そういう芸術や表現を楽しむ心を持つ人ならば、ラブマがはじまったから立っていいだの立たないだのの論争はまったく持って意味のないものだと理解できるものですのになーと思っております。まあなんかわざわざ書くのも説教臭くて嫌みっぽい感じがしてうんざりなんですけども。でもまあアナウンスはわかりにくかったですね。表現が曖昧すぎです。コンテンツが示されてたわけではなかった(かしら)。すべての歌終わるまで立つのも立って踊るのもサイリウムも禁止、もうそれでいいと思います。