プロフィール
2009年10月29日思い切ってプロフィールを変更したので、こちらに保存
●ワタクシ
HCY(Hitomi'n Club Yoshizawa charge)
セクシーおとめ塾生。ひとみ(ん)部よす担*1。セクシーおとめ塾*2さくら系としていますが、吉澤さんがいるからさくら系であるという、完全吉澤担当です。
注※吉澤さんを気分により「吉澤」「よっすぃ〜」「よっす」「よすざわさん」などと呼び分けます。
●ワタクシの吉澤歴
- ASAYANロックボーカリストオーディションから、ある事情で強制鑑賞。
- プッチモニ。デビューあたりまでは、ひそかに全員の名前と顔が一致。
- しかし安部センターが受け入れられず、「あるある」を観たくてしかたがなかったが、後藤の号泣、プッチモニ。の破壊力にやられかけ、ちょこラブCDシングルを買うかと思われた。が、そのころ、ある事情で強制終了。
- 4期入った時に吉澤さんを見て、オレはつんくと同じセンスか、と思うくらいにかわいいと思う。
- しかし、多少思い入れのあったプッチモニ。に入った吉澤の、やる気が無いのか自信がないのかわからない態度に心配の種が芽生えるが、忙しくて付き合いきれず、やっぱり終了。
- 2001年末、矢口の完成度に驚き、モーニング娘。に再び興味を持ち、13人がかりやハロモニSPなど録画し始める。
- が、忙しくて放置。
- しかも、その年の紅白ミスムンにおける吉澤の「wao(!?)」の浮きっぷりに、度肝を抜かし、どう扱っていいものかと考え、やっぱり放置。
- 2002年春コンのNHK-BSバージョンのミスムンにびっくり、大いに興味を持ちそこからどっぷりクローゼット吉絡み&四期オタ生活。
- しかし、その頃から吉澤さんの肥大化が始まり、「どうしたんだ、よっすぃ〜はいったい?」と心配するに始まり、いしよしがみきよしがあやみきがどうの、というのは日々サイドストーリーとしながら、吉澤さんの心配をしはじめる。
- 2004年よりセクシーおとめ塾に参加。初めてクローゼット生活から一歩か二歩くらい外に出る。
- 2004年秋 ついに04夏-秋コン初参加。そこで、テレビでは吉の姿がほとんど映らなかった「シャボン玉」で、当然だが、ずっとちゃんと踊っている吉の姿を見て感慨に耽ける。
- 2005年2月 思いあまってうっかり心配日記を始める。
- いろいろなネット中の方と交流を少しずつ。
- 公式本2の中で吉澤さん絶不調期について本人コメント。
- 2005年4月9日 大阪春コン参加。2回目の生吉澤体験。9列目で目があった気がして、人生を狂わされる予感ビシビシと。
- 2005年4月12日 吉澤さん20歳の誕生日。もうすっかり心配の必要などなさそうな吉澤さんだが、心配は私の吉澤アイデンティティなので(なんだそれ)、やっぱり心配し続けようと欲深く思う。
- 2005年4月14日矢口さん脱退
- 2005年5月7日 石川さん卒業@武道館 昼の部。夜の部参加。
- 以降どっぷりリーダー吉澤生活加速中
- 2005年7月ガッタス試合生初観戦
- 2005年8月握手会落選
- 2005年11月ディナーショー。ついに吉澤さんと相まみえる。骨抜き。私のスーパースターよっす。
- 2006年1月大集GO!で2期3期プッチモニ。復活。ベベ恋。しかしその場に立ち会えず凹む。
- 2006年3月スポフェス初参加。2度見振り返りよっすに骨抜き
- 2006年4・5月春ツアー増量参加。広島生誕コン夜、3列目の吉澤ロックフェス。踊れ!
- 2006年7月ワンダコン大阪よっす。あ・り・が・と・う
- 2006年8月リボンの騎士 3列目の緊張感
- 2006年秋 カレーツアー 坩堝
- 2007年1月よっす卒業発表にはじまり、大阪ワンダ・横浜集結。動揺、そして奇跡のOYの1ヶ月
- 2007年2月吉澤パンク。撃ちまくれ。
- 2007年2月よっすと握手。別れ難く。
- 2007年春 セクシー8ツアー。よっす最後の娘。ツアー。
大阪・北海道・追加名古屋・追加大阪・さいたま 9公演参加予定(追加大阪夜チケ募集中(笑))
これをもって私の狂った日々も最高の狂いっぷりをみせて終了する予定。
よっすぃ卒業後もできるかぎり応援する予定。
- 2008年 吉澤永久機関
- 2009年 よっすいぼくもうなんだかつかれたよ。さすがにね。。